著者:GATER KAZUKI
みなさん、こんにちは。GATER KAZUKIです。
水野和敏さん、と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。
たぶん、ほとんどの人が「R35 GT-Rの生みの親」と答えると思います。ミスターGT-R。ニュルで0.7Gの世界を作った男。それは正しい。
でも、今日はあえて逆から入ります。
水野さんは、R32にも触れていました。この話、意外と知られていません。
R32の「パッケージング」を担当していた
水野さんの経歴をたどると、面白い事実に行き当たります。
1972年に日産入社。そして1980年代、あの901運動に参加しながら、P10型プリメーラやR32型スカイラインの開発で、車両のパッケージング設計を担当していたんです。
パッケージングというのは、エンジンや人や荷物を、車という限られた箱の中にどう配置するか、という設計の根っこの部分です。地味に聞こえるかもしれませんが、車の素性を決める最重要工程のひとつです。
R35で全権を握るずっと前に、水野さんはR32というプロジェクトの中にいた。R35の思想の源流をたどっていくと、R32の現場に行き着く。私はここが面白くて仕方ないんです。
そしてNISMOで、耐久レースの世界へ
1989年、水野さんはNISMOに出向します。
ここで担当したのは、グループAではなく、グループCカーの耐久レースでした。監督兼チーフエンジニアとして、1992年にはR91CP・R92CPでデイトナ24時間を制しています。
つまり水野さんは、「市販車のパッケージング」も「レースの現場」も、両方くぐってきた人間です。机上の設計者でもなければ、レース屋一辺倒でもない。R35であれだけ市販車とサーキット性能を両立させられたのは、この二刀流の経験があったからだと、私は勝手に思っています。
念のため補足しておくと、R32のグループA参戦車そのものを水野さんが仕切った、という話ではありません。そこは星野さんたちの世界です。ただ、市販R32の骨格作りと、同時代の日産レース活動の両方に、水野さんは確かに足跡を残しています。
「R35の人」という肩書きは、半分しか説明していない
水野さんを「R35の人」だと言い切ってしまうと、この人のキャリアの前半がまるごと消えてしまいます。
901運動の熱気の中でR32の骨格を考え、NISMOで世界の耐久レースを勝ち、それからV35スカイラインを経て、2003年にゴーンさんからGT-Rの全権を託される。R35は、この長い助走の到達点です。
R35の凄さを語る人は多い。でも、その凄さがどこから来たのかを語る人は少ない。源流のひとつは、間違いなくR32の時代にあります。
最後に
R32を愛する人にこそ、水野和敏という名前を「R35の人」で終わらせないでほしいと思っています。
あなたが今、その手で触れているR32という車の骨格作りに、後の「ミスターGT-R」が関わっていたかもしれない。そう考えると、少しだけ背筋が伸びませんか。
世代を超えて、GT-Rを作った人間たちは繋がっている。その繋がりの結び目に、水野さんはいます。
以上、GATER KAZUKIでした。
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