著者:GATER KAZUKI
みなさん、こんにちは。GATER KAZUKIです。
R32 GT-Rを語るとき、私たちはよく星野一義さんの話をします。田村宏志さんの話もします。レースの英雄や、魂を守り続けたエンジニアの話は、繰り返し語られてきました。
でも、一人だけ、いつも抜けている名前があります。
伊藤修令さん。R32スカイライン、そしてGT-Rの開発責任者です。
この人を書かずにR32を語り続けているのは、正直、不自然なくらいだと思っています。今日はその穴を埋めます。
「速い車を作った男」ではなく、「速い車を作れる組織を作った男」
伊藤さんが果たした役割を一言で表すなら、「指揮者」です。これは私の勝手な表現ではなく、ご本人がそう語っています。
当時の日産には、優秀な部署がいくつもありました。エンジンも、シャシーも、それぞれの分野では世界と戦える人材がいた。でも、それをひとつの方向にまとめる人間がいなかった。
伊藤さんがやったのは、部署の壁を壊すことでした。「エンジン部門はシャシーをどう評価するのか。シャシー部門はエンジンの性能をどう見るのか」。互いに評価し合う仕組みを作った。バラバラだった才能を、ひとつの車に束ねたわけです。
R32 GT-Rのあの完成度は、天才が一人で描いた設計図から生まれたものではありません。優秀な人間たちが本気で議論できる「場」を作った男がいたから生まれた。私はそう理解しています。
901活動という追い風
伊藤さんの手腕が機能した背景には、「901活動」がありました。
901活動とは、「1990年代までに、走りで世界一になる」という日産のシャシー設計部門から起きた改革運動です。ちょうどR32の開発時期と重なっていました。
さらに、当時の久米社長による組織の風土改革もあった。役職や階級を超えて技術を議論できる空気が、社内に生まれつつあった。伊藤さんの「指揮者」的なやり方は、この空気があったからこそ機能した、とも言えます。
時代と、組織と、一人の指揮者。この3つが噛み合った瞬間に、R32 GT-Rは生まれています。
櫻井さんの「答えに苦労する姿」を見ていた
もうひとつ、私が好きなエピソードがあります。
伊藤さんは、あの櫻井眞一郎さんの側近でした。スカイラインをマイナーチェンジするたびに、周囲から「GT-Rはどうした」と言われる。その問いに、櫻井さんが答えに苦労している姿を、伊藤さんはずっと近くで見ていたそうです。
16年間、GT-Rという名前は封印されていました。その沈黙の重さを、誰よりも近くで感じていた人間が、GT-R復活の指揮を執った。これは偶然ではないと思います。
最後に
1989年、GT-Rは16年ぶりに復活しました。
その裏に、伊藤修令という指揮者がいた。速い車を作ったのではなく、速い車を作れる組織を作った男です。
R32 GT-Rを「奇跡の一台」と呼ぶ人は多い。でも奇跡は、仕組みがなければ起きません。その仕組みを作った人の名前を、私たちはもっと口にしていいはずです。
伊藤さんは、著書『走りの追求 R32スカイラインGT-Rの開発』でその舞台裏を自ら語っています。R32が好きなら、一度は触れておいてほしい名前です。
以上、GATER KAZUKIでした。
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