著者:GATER KAZUKI|GT-Rotaku.com
みなさん、こんにちは。GATER KAZUKIです。
今日は人の話をします。
R32 GT-Rを語るとき、避けて通れない名前があります。 星野一義選手。
カーナンバー12。カルソニックブルー。片輪走法。 知っている人には説明不要の名前です。でも「なんとなく知っている」という人も、「実はよく知らない」という人も、最後まで読んでいただけると嬉しい。
この人のことを、ちゃんと話したいと思います。
バイク少年が「日本一速い男」になるまで
星野一義選手は1947年、静岡県生まれです。
高校を中退後、カワサキ系のモトクロスチームに加入。16歳でレースデビューし、1968年には全日本モトクロス選手権の90ccクラスと125ccクラスで優勝を果たします。バイクの世界では、すでに「速い男」でした。
1969年、日産自動車と契約して4輪へ転向します。22歳のことです。
そこからの歩みは、速かった。全日本F2000選手権や全日本F2選手権で複数回チャンピオンを獲得。1976年にはスポット参戦したF1日本グランプリで、大雨の中を一時3位で走り観客を熱狂させました。旧型マシンで、です。
「日本一速い男」という異名は、このころから定着していきます。
ただ、星野一義選手のすごさは、速さだけじゃない。
日産との深い絆
星野選手は、長いキャリアを通じて日産と深く結びついて走り続けました。
一度、日産を離れようとしたことがあります。F2でホンダエンジンを使いたいと申し出たとき、日産側は引き留めました。「辞めさせない。F2のエンジンはホンダを使っていいから」——そう言われた星野選手は「感謝しかなかった」と後に語っています。
メーカーがドライバーのためにそこまで動く。ドライバーがその言葉に応え続ける。そういう信頼関係が、長いキャリアを支えていたんだと思います。
「勝ちたいとか、どうやったら勝てるかとかじゃなく、勝てると思って走っていたよ。だってさ、ホントにたくさん練習していたからね。毎日のように、みんなよりもたくさん走っているんだから、負けるなんてことは考えなかった。それくらいイカれてないと、日本一にはなれないよ」
本人はそう語っています。勝てると思って走る。その言葉の裏に、練習量と準備への絶対的な自信がある。
カルソニックスカイラインとの運命
1988年、星野選手率いるホシノレーシングはカルソニックをメインスポンサーに迎えます。なお、カルソニックブルーのあのボディカラーは、星野選手自身が発案したと言われています。
そしてR32 GT-Rが誕生した翌年、1990年。グループAに、あの青いマシンが現れます。
カルソニックスカイライン、カーナンバー12。
1990年3月の開幕戦、西日本サーキット。4万1,000人の観客が詰めかけたその日、カルソニックはポールポジションから優勝をさらいます。2位以下を全車周回遅れにする完勝でした。
ただし、その裏に知られていない事実があります。レース中、2台のGT-Rはミッショントラブルを抱えていました。3速に固定されたまま走り切ったのです。ゴール後、星野選手が涙を見せたという話が残っています。勝ったのに、泣いた。それだけの重圧と責任を背負って走っていた、ということです。
その年、カルソニックは6戦5勝でシリーズチャンピオンを獲得します。
片輪走法という美学
星野選手の走りを語るとき、「片輪走法」という言葉が出てきます。
コーナーの縁石に乗り上げ、文字通り片輪を浮かせるような走り。アウト側のタイヤが縁石の上を転がりながらコーナーを切り取っていく。見ている側からすると、制御を失いかけているように見える。でも絶対に失わない。
それが星野選手の走りでした。
ヤンチャで、大胆で、でも結果を出す。ドライバーとしてのスタイルが、そのままカルソニックブルーの印象になっていった。あの青いGT-Rが「グループAのアイコン」になったのは、マシンの速さだけじゃなく、星野一義選手という人間の存在感があったからだと私は思っています。
1993年、最後のチャンピオン
グループAの最終シーズン、1993年。
この年、星野選手は影山正彦選手とコンビを組み、カルソニックで再びシリーズタイトルを奪還します。1990年の初代チャンピオンが、最終年も頂点に立った。
4年間でカルソニックが2回、ハセミモータースポーツが2回。タイトルを分け合う形でグループA時代は幕を閉じました。
29連勝という記録は、GT-Rの強さの話です。でも、その記録に人間的なドラマを与えたのは、星野選手と長谷見選手という2人のドライバーでした。
最後に
星野一義選手は2002年にレーシングドライバーを引退し、現在はホシノインパルの総監督として後進の育成に携わっています。
600戦近いレースに参戦したキャリア。日産との深い絆。片輪走法の美学。そしてゴール後の涙。
R32 GT-Rがなぜ今も特別なのか、と聞かれたら、私はいつもこう思います。あの時代に、あのマシンで、あれだけの人間たちが本気でぶつかり合っていたから、と。
星野選手はその中心にいた男です。
以上、GATER KAZUKIでした。
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