著者:GATER KAZUKI
みなさん、こんにちは。GATER KAZUKIです。
R32 GT-Rのグループ A活動を語るとき、必ず出てくる2つの名前があります。
カルソニックスカイラインとリーボックスカイライン。
この2台の話を、今日はちゃんとやります。「カルソニックは知ってるけどリーボックは…」という人も、「どっちが好きか」で迷っている人も、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
まず2チームの素性を整理する
カルソニックスカイラインは、星野一義氏が率いるホシノレーシングのマシンです。カーナンバーは12。あのカルソニックブルーと呼ばれる鮮烈な青が全身を包んだ、グループA史上おそらく最も有名なレーシングカーです。
リーボックスカイラインは、長谷見昌弘氏のハセミモータースポーツが走らせたマシンです。スポンサーであるリーボックの白をベースにしたカラーリングで、ファーストドライバーは長谷見氏本人。「Mr.スカイライン」と称された伝説のドライバーが自らハンドルを握りました。
同じ日産系のGT-Rを走らせながら、チームの性格もドライバーのスタイルも、そして戦績の波も、この2チームはまったく対照的でした。
伝説のデビューレース──1990年3月、西日本サーキット
1990年3月、グループAの開幕戦が西日本サーキットで開催されました。
このレースのために、4万1,000人の観客が詰めかけました。16年ぶりに復活したGT-Rが、ついにサーキットを走る。その瞬間を見るために。
予選が始まると、2台のGT-Rは前年まで王者だったフォード・シエラRS500を完膚なきまでに叩きのめします。カルソニックがポールポジション、リーボックが2番手。シエラとのタイム差はポールと比較して1.8秒。1周あたり約70メートルの差です。予選の時点で、勝負はついていました。
決勝もそのまま。カルソニックが優勝、リーボックが2位。2位以下を全車周回遅れにする圧勝でした。
ただ、この裏には知られていない事実があります。
公式練習日に、事前テストでは出なかったトラブルが2台のGT-Rに発生していました。実戦モードの素早いシフト操作によりギアが2重噛み合いを起こして3速に固定されてしまったのです。ドライバーには「丁寧なシフト操作」でレースを乗り切るよう指示が出ました。
カルソニックは全車を周回遅れにして優勝しながら、リーボックは2位フィニッシュを果たしながら、2台ともミッショントラブルを抱えたまま走り切っていた。ゴール後に見せた星野氏の涙が、その重圧のすべてを物語っています。
4年間の戦績と、チームの明暗
グループAにおける4シーズンの戦績を整理すると、この2チームの関係がよくわかります。
1990年はカルソニックの年でした。6戦5勝でシリーズチャンピオン。星野一義・鈴木利男組がGT-R復活の年を完全制覇しました。
1991年はリーボックが逆襲します。ハセミモータースポーツがシリーズタイトルを奪取。カルソニックに王座を渡しません。
1992年もハセミモータースポーツが2連覇。ただしこの年はJECSスカイラインとしての参戦で、スポンサーの変更によりリーボックカラーではなくなっています。
そして1993年、カルソニックが星野一義・影山正彦組で王座を奪還。グループA最終年を締めくくりました。
4年間でカルソニックが2回、ハセミモータースポーツ(リーボック/JECS)が2回。タイトルは綺麗に分け合った形です。
1992年のカルソニック、セッティングの苦闘
この4年間で最も興味深いエピソードのひとつが、1992年のカルソニック号のセッティング問題です。
この年、カルソニック号はセッティングに苦しみ続けました。同じGT-Rでありながら、なぜかタイムが出ない、速さが戻らない。チームは原因を探り続けましたが、なかなか解決しなかった。
翌1993年、チームはモノコック(車体の骨格)を交換しました。
すると途端に復調したのです。
「ハンドリングはボディで決まる」という言葉がこのエピソードから生まれました。どれだけサスペンションをいじっても、エンジンを磨いても、ボディそのものが狂っていれば車は走らない。当たり前のことのようで、レースの現場でそれを証明したのがカルソニック号でした。
青か、白か
さて、ここで少し私事を話させてください。
GT-Rオタクの間では「カルソニック派かリーボック派か」という話になることがあります。これ、結構真剣に意見が分かれるんですよ。
カルソニック派の理由はわかりやすい。あの青は強烈で、星野一義の「片輪走法」──縁石に乗り上げてのダイナミックな走りは、見る者を熱狂させた。ヤンチャでカッコよかった。グループAのアイコンとして、あの青は今も頭から離れません。
リーボック派の理由は少し渋い。長谷見昌弘という「Mr.スカイライン」が自らハンドルを握って戦っていた、その事実の重さです。スカイラインの生みの親とも言える人物が、GT-Rでサーキットを走っていた。あの白いマシンには、スカイラインの歴史そのものが乗っていました。
私はどちらかというとリーボック派です。長谷見昌弘という人物への敬意が大きい。ただカルソニックブルーのカッコよさは認めざるを得ない。どちらが好きかは、GT-Rへの向き合い方そのものを反映している気がします。
最後に
カルソニックとリーボック、この2チームがいたことで、グループAのGT-R時代はただの「勝ち続けた記録」以上のものになりました。
外から見れば圧倒的に強いGT-R同士が、内側では激しく戦っていた。その緊張感が、29連勝という記録に人間的なドラマを与えています。
GT-Rが強すぎてグループAが終わった、という話をよく聞きます。でも正確には「GT-Rが強すぎて外国勢が去り、GT-R同士の戦いになり、それでもGT-Rが面白かったから観客が増え続けた」という話です。1993年の最終戦インターTECには9万4,600人が詰めかけています。
2台のGT-Rが作った時代でした。
以上、GATER KAZUKIでした。
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